小国び塾活動日誌

藤浩志プロデュースによる「小国び塾」参加メンバーが、坂本善三美術館の収蔵品から発想して取り組む「アートなプロジェクト」の記録です。

今日の絶筆−3−【sawa】

さっき部屋に入ろうと電気をつけたら、

でっかいヤモリがいました。

 

そして今、そのヤモリの動向を見張りながらブログを書いてます。

sawaです。

(ヤモリ自体は平気なんですが、なんせすばしっこいので、こんな夜更けにバタバタと捕まえて逃がす気力がないし、捕まえられる自信もない。でもずっと居続けてもらわれてもなぁ…どうしよう)

 

さて、今日の絶筆。

 

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何も描きませんでした。

描く気になれませんでした。

心から”描きたい、描いてみたい”と思えるものが浮かんでこなかったのです。

 

そもそも、私は自分のプロジェクトの一環として描く、という選択をしていますが、プロジェクトとか、人に見せるためとか、そういう理由を取っ払った状態で何か作品を作る、となった時には、まず”作りたい”、”とにかくこの想いや考え、気持ちを形にしたい”というような、何かしらの衝動があると思うのです。

 

善三さんの描いた「絶筆」だってそうだと思うのです。

「これは後々最後の作品として紹介されるだろうからこういう構図で云々…」なんてことは考えていないはずです。

 

自分のやりたいことを、ただ素直に表現しただけ。

 

今回のプロジェクトに限らず、私がこれまでやってきた表現活動は”他人目線”ばかりを意識してきたような気がします。

良く言えば、見ている人に喜んでもらいたい、楽しんでほしいというサービス精神。

だけどもしかしたら、自分の本当の気持ちを置き去りにしていたところがあったのかもしれません。

 

私が本当にやりたいことってなんなんだろう。

自分にとって、表現するってなんなんだろう。

善三さんの作品を通して、まさかこんなに自分自身と向き合うことになるなんて思ってもみませんでした。

 

 

(部屋にいたヤモリですが、見事に見失いましたwお願いだから外に出てって…)

 

sawa

 

今日の絶筆−2−【sawa】

毎日絶筆を描く、と決めたことを早くも後悔しているsawaです。

 

今日は帰ってくるの遅かったし、忙しい日はサボるか…

と投げ出しそうになりましたが、

そもそも私に明日があるとは限らない。

なんのためのプロジェクトだ。

じゃあいつ描くんだ。

今でしょ。(古い?)

 

ということで。

 

 

今日は、”今”を感じたい気分でした。

今を感じるために瞑想をしました。

瞑想をしていると、ただただ”いまここ”にいる自分を感じることが出来ます。

 

今日はそんな”いまここに居る自分”を絶筆として描き表してみよう。

どうやって表わそうか?

そうだ、その時に聞こえていた音を描こう。

と思い、結果、こうなりました。

 

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こ…

 

こわい…笑

 

 

うちの周りは比較的静かな環境なので、虫の音か時々通る車か風の音しか聞こえません。

しかし、その場に身を任せぼんやりとしていると、それまで聞こえてこなかった音も聞こえるようになってきます。

 

ちょっと前まで聞こえていた鴨の鳴き声がいつの間にか聞こえなくなった、とか

少し離れたところに居る、地震の復旧工事の人の話し声が聞こえたり、とか

手で触れていないけど、自分の心臓の音が聞こえてきたり、とか

普段忘れていたり、気に掛けていなかったことも思い出させてくれます。

 

静かな環境だけど、こうやって聞こえてくる音を文字にすると、静かだと思っていた夜はとっても賑やか。

たくさんの音で溢れていました。

同じ家でも、部屋を移動するとまた違う音が聞こえてくるのがまた面白い。

 

音を感じることで、季節や時間を感じる…

秋の夜長の過ごし方としてこれほど贅沢なことはないかもしれません。

そんな贅沢な時間をいつまでもいつまでも感じていきたい、と改めて思いました。

 

sawa

今日の絶筆【sawa】

こんにちは。

sawaです。

「こんな解釈、ありなんだ!」展はお楽しみいただけていますでしょうか?

まだの方、この機会にぜひ小国まで足をお運びくださいませ。

小国へ向かう途中の道はすっかり秋の気配。

この時期のミルクロードは最っっっ高です。

 

さて、私はと言いますと、

展覧会初日の”絶筆クチュール”の公開制作を終えて、しばらく放心状態となっておりました。

善三先生の絵と共に、私の作品が展示されているなんて未だに実感が湧きません。

 

作品としては、展示して一旦一区切りしましたが、

私の中ではこのプロジェクトはちっとも完結しておらず、

ずっと、どう決着をつけてやろうかという思いが頭から離れません。

 

そうやってしばらく燃え尽き症候群ながらも悶々としていた私ですが、

先日、ある重大なことに気づきました。

それは、

「私、絶筆描いてない!!」

ということ。

 

いや、一応描いてはいるんです。

でもそれは、描いて頂くみなさんに参考資料として見せる為に描いたようなもので、

思いはそれなりに込めてはいるんですが、自分の中では「違う」んです。

 

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(ちなみにこれです。最初は線だけだったけど、後日文字を書き足したという…これも展示作品に紛れ込ませています。)

 

人に半ば無理やり描かせといて、発起人がそもそも絶筆というものに向き合ってないなんてどういうことなの…!!!!?

 

というわけで、今日から毎日1枚、絶筆を描くことにしました。

(毎日1枚、絶筆を描くって、どういうこっちゃ。)

その日その日を大事に嚙みしめながら。

一応期限を決めてやります。1週間。短期集中。

そしてそれを公表していこうと思います。

 

 

そんなわけで、今日の絶筆はこちらです。

 

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私の手をなぞって、20年後の自分へ手紙を書きました。

 

なんでこんな形にしたかというと理由があります。

 

私が二十歳の成人を迎えた時、手紙が届きました。

それは私が1,2歳くらいの時に両親が書いた、私宛ての手紙でした。

そこには当時の私の手をなぞったものと、幼い私の様子や未来の私への思いが書かれていました。

(昔、そんなタイムカプセル的なサービスがあったらしいです。)

 

それを受け取った時、両親の愛やらなんやらを凄〜く感じて、とても感動したのを覚えています。

私、こんな手ぇちっちゃかったんだぁー!みたいな。

大切な宝物です。

私が死んだら棺桶に一緒に入れて欲しいものの一つです。

 

あの手紙には到底敵いませんが、

その時の喜びや、時空を超えて届くであろう書き手の思いを再現したくて、

20年後の私への手紙を今日の絶筆として描いてみました。

 

”絶筆”だけど、20年後にこれを読みたいという矛盾。

20年後の私にぜひとも会いたいという気持ち。

”死”への恐怖よりも、”この先も願わくば生きていたい”という欲を込めて。。。

 

sawa

日々成長

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小さな直まきタネも、無事発芽し、かわいい芽を見せてくれています。まんなかのニンジンがなかなか出なくてハラハラしました。

左:たねもしかけもさんから頂いた「ラディッシュ」

中:塩月いとみさん、みゆきうさぎさんご指定の「ニンジン」

右:大塚康秀さんから頂いた「サラダしゅんぎく」

 

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葉っぱが一番大きく育って目立つのが、かぼちゃ類です。

北里香代さんの「かすがぼうぶら」

村瀬ミエ子さんの「黒かぼちゃ」

手前右は、いろんな方から頂いた「ひまわり」。

 

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苗ポットからプランターへと株あげされたものも増えてきました。

かぼちゃ、葉ぼたん、ゴーヤ、地ぎゅうり、朝顔、ひまわり、黄コスモス、おしろい花…。もう間もなくその時期を終える種類のものも多いので、いつまで元気な姿を保てるか、お世話に熱が入ります。

 

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まだまだ、これからも芽を出します!(きっと)

お楽しみに!

 

『青い御幣』ハルノシュ

 善三さんの『形』(1976)は、御幣がモチーフだ。しかも青い御幣。御幣は神をお招きするたものもの。紙で神を呼ぶ。“かみ”つながりだ。

 青い御幣なんて見たことがないから,実際に作ってみることにした。

 善三さんの作品『形』(1976)にでてくる御幣のイメージには透明感がある。なので,使用する紙は青い透過紙。最初にできたのは,少し小さめになってしまった。

 そこで、もう一つ大きめのものを作ってみた。f:id:sakamotozenzo:20171008084314j:plain

 文献によると、御幣には赤や青など色のついたものもあると書いてあるが、いったいどこで、善三さんは青い御幣を見たのだろうか。しかも、絵の中は御幣だらけ。暗闇の中で御幣が上空で雲のように犇めき合っている。

 もしかしたら、善三さんの心の風景かもしれないが、彼は何か目に見えない大きな存在を強く招き入れようとしていたのだろうか?

 一瞬、神をお招きする御幣に目をつけてみようかと考えた。でもさすがに、実物の御幣に自ら何か造形を施すのは、やめた方がいいなと思った。そこは立ち入ってはいけない領域かもしれない。

 展示では、「青稲くん」と一緒に青い御幣を展示しようと思う。青い御幣に透明感を意識できるようにしたいけれど、どのように展示するか悩み中である。

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『青稲(あおいな)くん』ハルノシュ

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 福岡から熊本に向かった9月30日,大分県日田の井上酒造に寄った。酒蔵を見学させて頂いたのだが,神棚が要所要所に祀られているのを見て,御幣は雷みたいだと思った。

 善三美術館に着いて,学芸員の方と『青い稲妻』シリーズについてお話した。その時,はじめて“御幣”のイメージの基が“雷”であるのを知った。もっと勉強してから『青い稲妻』シリーズをつくればよいのに,恥ずかしながら,そのことにきちんと気づいていなかった。「形:1976」を通して,御幣が雷に生ま変わっているようだ,と本来と逆のイメージを感じ取っていたのだ。

 最初に作った「形:1976ー青い稲妻Ⅰ」を美術館の方々に披露したとき,「なぜ,この稲妻は痛そうな目をしているのですか?」と聞かれた。

 善三さんの「形」(1976)を見たとき,稲妻がなんとなく夫々に愛らしく感じられた。高い所で楽しそうにみんなでぶら下がっている様に見えたのだ。f:id:sakamotozenzo:20171007210046j:plainf:id:sakamotozenzo:20171007210104j:plain

 

 でも,雷様も,落ちるときには“怖いはず”。地上何百メートルのところからものすごいスピードで降下するのは“勇気がいる”だろう。だから,ジェットコースターで急降下するときに多くの人々が目をつぶるのと同じような表情にしたのだった。

 「形」(1976)は大きな作品だ。収蔵庫で見せてもらうにしても,手間がかかりそうだった。なので,実際の作品に触れることなく制作に臨んだ。従って,ほとんどこの作品に関して,誰かと対話をすることがあまりないまま制作を進めることになった。

 今回の「形:1976ー青い稲妻」シリーズは,これから様々な方との対話を深めながら,色々とアレンジできればいいなと感じている。

タネ、育ってます

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小国び塾メンバーとして、善三美術館スタッフ一同も「+zen」という名前で展覧会に参加しています。館内での展示と並行して、屋外でもタネプロジェクトが進んでいます。

お世話になっているみなさんからお手持ちのタネを頂いて、まいて育てています。

150人ほどの方々にタネくださいというお便りを出し、そのほか呼びかけられる方に直接お願いをしたところ…。50人以上の方から約70種のタネを頂きました。毎日届くタネに歓声をあげて喜びつつ、なかなかタネまきできない日々でした。が、本日、ヒーヒー言いながら、陽にジリジリ照らされながら、なんとか現時点で頂いたタネを全てまきおわりました。そして、タネから育った苗を、プランターに移植しました。

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展示替えや「んまつーポス」ワークショップや公演や、小学生鑑賞教室や、ビュービュー雨や、なんのかんので、届くタネの数に処理がなかなか追いつかず、やっと本日すべて完了。名札もすべてつけました!

 

常に、当館のあらゆる活動について言えることですが、こんなにたくさんのみなさんに(しかもたくさんの地元のみなさんに)ご協力を頂いて、本当にありがたいことです。いつもありがとうございます。無事に育ちますように!温室がほしい!