小国び塾活動日誌

藤浩志プロデュースによる「小国び塾」参加メンバーが、坂本善三美術館の収蔵品から発想して取り組む「アートなプロジェクト」の記録です。

結局何を伝えたいの???子ども編 Part1【sawa】

【2017年7月31日(月)その①】

 

この日は、坂本善三美術館の”アートクラブ”へお邪魔しました。

 

小中学生の子ども達が、何でも自分たちで考え自分たちで実行して、一つのアートプロジェクトを創り出すという試み。

元々は、その活動自体に興味があって。

現代の子ども達にとって”自由”って却って”不自由”だったりするので、プロジェクトの進め方や子ども達の行動や思考など期間中の子ども達の変化とか、大人たちの関わり方などを見てみたくて見学に来たのです。

 

で、今回はそれに加え、絶筆を子ども達に描いていただく、というある意味今までで一番壮大なミッションも実行しようと張り切って参ったのです。

 

美術館に着いた頃はちょうどお昼時。

この日は前日から泊まり掛けで活動していた子ども達。

美術館スタッフの皆さんが用意された素麺や地元の新鮮なお野菜を頬張っていました。

そして、私もみんなに加わっていただきました。

何しに来たんだ。笑

おかげさまで「バジルと醤油は相性抜群」という貴重な学びを得ました。

美味しかったー。し・あ・わ・せ☆

来年は絶対バジルを植えるぞ。

 

 

さて、お腹がいっぱいになったところで子ども達にお願いをします。

 

何せ”絶筆”です。

生きるとか死ぬとか、まだまだピンとこないお年頃です。

しかし、「どうせわからないだろう」と子ども扱いもしたくない。

どうやって切り出そう…とずっと悩んでいました。

 

これまで描いていただいた方々(主に大人)へは、今回の小国び塾の活動内容や善三先生の「絶筆」が描かれた経緯、そして今現在の自分にとっての”最後の絵なり文字なり”を描いて欲しい、という風な流れでお願いしてきました。

イメージとしては、死の恐怖に怯え苦しみながら描く、というよりも、今この瞬間に大切にしている物事や好きなことなどを描いて、それが絶筆として残ったらいいよね。

そしてそれを描くことによって、人の命とは限りあるもので、いつ終わるかわからないから毎日を大切に過ごしたいよね、という風に考えるきっかけにしていただきたいのです。

 

しかし、子ども達にそれを言ってもきっと難しいのではないか。

どう伝えたらいいのか…

考えた末、大人たちと逆の順番で伝えてみよう、と思いやってみました。

大人たちへは、”絶筆云々の説明をして”→”描いてもらう”という流れでしたが、

子どもたちへは”まず自由に絵を描いてもらって”→”もしかしたらこれが絶筆になるかもしれない”という説明をしようと考えました。

そっちの方が何か感じてもらえるかなーと思い。

 

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本当はきっと”絶筆”というものは、誰からも指示されるものではなく、衝動のままに自由に描くものだと思うのですが、それを求めてしまうと大人も子どももみんな困ってしまう。

なので敢えて「絵でも線でも言葉でもなんでもいい」「今一番好きなものとかグッとくる言葉とかどうでしょう」とか、ちょっとだけ描きやすいように助け舟を出したつもりでいました。

 

子どもたちは、好きなミュージシャンの名前や夏休みにやりたいこと、今ハマっているらしいタッチのお花、顔、模様、好きなものがいっぱい散りばめられた絵、など色んな作品を描いていただきました。

 

こんな見ず知らずのおばちゃん相手に、一生懸命描いてくれてありがとねーーー(/ _ ; )

 

しかし、みんなが描いてしまった後にいざ”実はこれはかくかくしかじか…”という話をしようとしたら、雨がザーーーーーーーーーーーッと降ってきまして。

外で作業の途中だったチームの子達は「片づけなきゃ!!」と外へダッシュしていかれたので、結局これが”絶筆”として作品にするというお話は、約半数の子達にしか出来なかったとさ。。。

ああしまった…こういうこともあるのか…やっぱり最初が肝心だな、と反省。

 

そしてこの後、とある方とお話をしている中で、自分の愚かさというか浅はかさに気づき大いに絶望するわけですが…

長くなりそうなので、別記事で書きます。

 

<31日の絶筆(子ども編)→17枚>

・計 39枚

 

sawa