小国び塾活動日誌

藤浩志プロデュースによる「小国び塾」参加メンバーが、坂本善三美術館の収蔵品から発想して取り組む「アートなプロジェクト」の記録です。

今日の絶筆【sawa】

こんにちは。

sawaです。

「こんな解釈、ありなんだ!」展はお楽しみいただけていますでしょうか?

まだの方、この機会にぜひ小国まで足をお運びくださいませ。

小国へ向かう途中の道はすっかり秋の気配。

この時期のミルクロードは最っっっ高です。

 

さて、私はと言いますと、

展覧会初日の”絶筆クチュール”の公開制作を終えて、しばらく放心状態となっておりました。

善三先生の絵と共に、私の作品が展示されているなんて未だに実感が湧きません。

 

作品としては、展示して一旦一区切りしましたが、

私の中ではこのプロジェクトはちっとも完結しておらず、

ずっと、どう決着をつけてやろうかという思いが頭から離れません。

 

そうやってしばらく燃え尽き症候群ながらも悶々としていた私ですが、

先日、ある重大なことに気づきました。

それは、

「私、絶筆描いてない!!」

ということ。

 

いや、一応描いてはいるんです。

でもそれは、描いて頂くみなさんに参考資料として見せる為に描いたようなもので、

思いはそれなりに込めてはいるんですが、自分の中では「違う」んです。

 

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(ちなみにこれです。最初は線だけだったけど、後日文字を書き足したという…これも展示作品に紛れ込ませています。)

 

人に半ば無理やり描かせといて、発起人がそもそも絶筆というものに向き合ってないなんてどういうことなの…!!!!?

 

というわけで、今日から毎日1枚、絶筆を描くことにしました。

(毎日1枚、絶筆を描くって、どういうこっちゃ。)

その日その日を大事に嚙みしめながら。

一応期限を決めてやります。1週間。短期集中。

そしてそれを公表していこうと思います。

 

 

そんなわけで、今日の絶筆はこちらです。

 

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私の手をなぞって、20年後の自分へ手紙を書きました。

 

なんでこんな形にしたかというと理由があります。

 

私が二十歳の成人を迎えた時、手紙が届きました。

それは私が1,2歳くらいの時に両親が書いた、私宛ての手紙でした。

そこには当時の私の手をなぞったものと、幼い私の様子や未来の私への思いが書かれていました。

(昔、そんなタイムカプセル的なサービスがあったらしいです。)

 

それを受け取った時、両親の愛やらなんやらを凄〜く感じて、とても感動したのを覚えています。

私、こんな手ぇちっちゃかったんだぁー!みたいな。

大切な宝物です。

私が死んだら棺桶に一緒に入れて欲しいものの一つです。

 

あの手紙には到底敵いませんが、

その時の喜びや、時空を超えて届くであろう書き手の思いを再現したくて、

20年後の私への手紙を今日の絶筆として描いてみました。

 

”絶筆”だけど、20年後にこれを読みたいという矛盾。

20年後の私にぜひとも会いたいという気持ち。

”死”への恐怖よりも、”この先も願わくば生きていたい”という欲を込めて。。。

 

sawa