小国び塾活動日誌

藤浩志プロデュースによる「小国び塾」参加メンバーが、坂本善三美術館の収蔵品から発想して取り組む「アートなプロジェクト」の記録です。

絶筆在中。そしていよいよです。【sawa】

【2017年8月12日(土)】

 

家に一通の封書が届きました。

 

 

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こ、これは…シュールだな。。。

 

美術館スタッフYさんが描いた絶筆を送ってくださったのです。

この封書を見たとき、郵便屋さんはどう思ったのでしょう?

考えるとちょっと可笑しいですね。

 

そしてこのYさんの絶筆と、一緒に同封されていたお手紙が、もう、なんか、今回のプロジェクトの集大成的な感じだなと思ってしまったのです。

 

そこにはこう書かれていました。(Yさんゴメンなさい、勝手に紹介します)

「いろいろふりかえって、私の人生何も言うことないなーと気づきました。

 大いに満足の人生でありがたいことだと改めて思いました。」

 

何だかジーンとしました。

きっとYさんの人生も決してスムーズではなくて、それなりにいろいろあったんだと思います。

でもそんないろいろを全部ひっくるめた上で”満足”というキーワードが出てくるって素敵だな、と感じました。

 

どんな人生であっても最後には満足して生涯を終えたいものです。

私が皆さんに”絶筆を描く”という疑似体験をしていただいたのには、別に死を意識してほしいわけじゃなくて、これからも続くであろう人生の中で、自分にとっての生きる喜びとか充実感が実は身近にあって、すでに幸せであるということに気づくことが出来たら良いよね、この何気ない日常を大切に過ごしていきたいよね、ということを伝えたかったのかもしれません。

かもしれません、と断言していないのは、それでもまだ自分の中にくすぶる何かがあるからです。

きっと他にも伝えたいことが心の奥の方にありそう。

自分でもよくわからないから、それに気づけた時の感動は大きいです。

11月までの展示期間中にあと幾つ気づきがあるかな?楽しみです。

 

Yさん、ありがとうございました。

 

<8月12日の絶筆→1枚>

・計 46枚

 

 

そして!!!!

いよいよ今週16日に迫って参りました

藤浩志と小国び塾が作る善三展

「こんな解釈、ありなんだ!」

 

ただいま、展示に向けて絶賛準備中です。

しかし、ここで今のうちに懺悔します。

 

展示初日、おそらく作品完成してません。笑

 

おいおいおいおい…て感じですが、ここは開き直って【公開制作】という形で持っていきたいと思います。笑

 

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これは少し前の状態ですが、こんな感じで絶筆たちを繋げて、一つのお洋服にする予定で進めています。

まさに絶筆クチュール。

皆さんがどんな絶筆を描いてこられたのか、会場にてじっくりと一つ一つご覧になっていただけると嬉しいです。

私はあと少し、ひいひいと夜なべしつつ、他のび塾メンバーの作品も楽しみに当日を待ちたいと思います。

 

台風が心配だけどね!!

 

sawa

 

タネから木へ  +zen

 

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9月9日、善三美術館を飛び出し、小国町西里の櫟の森美術館へ。

着々と集まる「タネ」と並行し、次は「木」を取り込みます。

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櫟の森美術館の吉村形さん自ら、敷地のくぬぎを切り倒してくださり・・

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くぬぎチップを煮詰め、布を染めて・・

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媒染して・・

 

タネプロジェクトという理由をつけて、森での素晴らしい時間を過ごさせていただきました。はてさて、この布がどう展示できるでしょうか・・。

「ILOVE 卵焼き」っていう事

悶々とする日々の中で「何か忘れてないか?私」
今日も卵焼きを焼きます。
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フライパンが熱すぎない内に油を馴染ませ卵汁を流し入れ、表面が煮え過ぎない頃合いを見てくるくると巻きます。それを5回繰り返すと出来上がりです。焦がさない様、ふっくらしっとり仕上げるのは意外と神経使うもので片手間にしようものならすぐに焦げたりするのです。行楽のシーズンに入り午前中10本午後10本焼くこともありそうするとかなりの時間を要します。f:id:sakamotozenzo:20170911171657j:plain
お弁当に詰めたらほんの脇役だけど大事な一品です。気持ちをたっぷり込めて出来上がりましたよ。あなたの「美味しい❗」の一言お待ちしてます🎵f:id:sakamotozenzo:20170911172234j:plain

続々タネが +zen

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昨日も、町内外からタネが続々寄せられました。みなさんん、ありがとうございます! 矢車草、おしろい花、風船あさがお、黄コスモス、かぼちゃ、ヒゴタイ、ヒメユリ、そして…「夜の蝶」。

 

頂いたタネは、なんとか生育させるべく、タネまきの方法から管理方法など調べてまいているのですが…「夜の蝶」が何なのか、わかりません。「蝶」をキーワードに調べてみると、胡蝶蘭、ビオラの一種の呼び名あたりが検索候補にあがってきますが、どうしてもムーディーな方面にひっぱられてしまい、有力な情報に今も接していません。下さった方にお電話して聞いてみようかな…。

 

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そして、本日も頂きました。写真は、毎度おなじみご近所Sさんの畑のお花。「畑にいっぱい咲いちょったけん」と持ってきてくださいました。いつもご近所のみなさんには本当によくして頂いて、感謝です。

鳥象君(とりぞうくん)のこと ハルノシュ

 坂本善三の作品に『象』(油彩・1981)と『鳥』(リトグラフ・1980)がある。何れも,短めの筆跡を幾つかの方向から素早く重ね合わせ,それを画面に並べた作品だ。これらの作品は何者かが動いた跡の残像を連想させる印象的なシリーズである。

 私はおばけ計画を始めて間もない時期,試作を三つ作った。その中の一つに,『象』(油彩・1981)を題材にしたおばけがあった。この『象』が鳥に見えたのをきっかけに,鳥のイメージを借りた善三作品のおばけを作ろうと考えたのだ。(そのときはまだ,『鳥』(リトグラフ・1980)が“とり”というタイトルの作品であることを知らなかった。)試作の段階では,『象』が“ぞう”とも読めることから“とり”と“ぞうさん”の組み合わせによるおばけを思いついた。そして,尾の部分などに鳥らしさを残すように意識しつつ,象のように鼻を長くした。また,表面の7割ぐらいに『象』(油彩・1981)を和紙に印刷したものを三角形にちぎって覆うようにして仕上げた。けれど残念ながら,その試作は解説がなければ,それが善三さんの『象』を元にした作品と分かり辛かった。

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 完成後,小国び塾で試作をメンバーに見て頂いたとき,『象』(油彩・1981)について,「この作品のタイトルは(ぞうさんの)“ぞう”と読めますので・・・」と説明すると,善三美術館の学芸員の方が「これは“しょう”と私たちは呼んでいます」と教えてくれた。おそらく『象』とは,“形象”のことであり,善三さん自身,動きのあるものが過ぎ去った形の痕跡のようなものを抽象的に示したかったのだろうと感じた。

 ところで,リリー・フランキーの漫画『おでんくん』にはお餅と象が組合わさった“もちぞうくん”が時折登場していた。“もちぞうくん”は他確か「もちぞう,もちぞう」と言いながら,チャーミングに動き回っていた。これにあやかり,2作目と3作目を制作するにあたって,“鳥”と“象”の組み合わせたこのおばけを“とりぞうくん”と命名した。今回は,試作に比べ,象らしさを更に強調するために,(はるのこうりん の助言により)耳をつけ,鼻に象牙色の蜜蝋を使い,足底を太く,丸くしてみた。

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更に善三さんのオリジナル作品のイメージを損なわないようにするために,和紙に印刷した『象』や『鳥』のイメージを体の部分にあまり加工を加えず使用した。“もちぞうくん”ほど,キュートではないが,善三作品を契機に不思議なおばけが誕生したと感じている。

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言葉を、さがす

みなさんはじめまして。「小国び塾」に参加させていただいていますヤマシタと申します。
住まいはこの小国町にありますが、福岡市内や北九州方面、熊本市内で大学の非常勤講師をやっています。
専門は西洋哲学ですが、勤務先によっては論理学や芸術学を教えています。
このブログに一回も記事を書いていないのはお前だけだという近親者からのプレッシャーに押されるかたちでやっとパソコンのエディタを立ち上げることができました・・・。

 私のテーマを「坂本善三を読む」です。
絵画作品そのものと作家本人が雑誌・新聞に寄稿した文章やインタビューに残したことばとが互いに反響し合うような出来事、そしてそのような言葉の反響の中に観客(そしてそれは今回「読み手」あるいは「聴衆」でもある)が巻き込まれていくような経験というものは可能なのか?もし可能であるならば、それはどのようにして可能になるのか?

いま僕は、実際に展示する作品と並ぶべき「言葉」を作家が残したテキストから拾うという作業をしています。落ち葉拾いならぬ「言の葉拾い」です。坂本善三は寡黙なグレー、寡黙な黒といった言葉で表現される作家ですが、残されたテキストは思いのほか多いのです。

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芸術家の言葉といえば学生の頃、岩波文庫から出ている『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』を読んだ時にとても驚かされた記憶があります。

人類史上に残る天才レオナルド・ダ・ヴィンチが残した言葉であれば、それはそれはありがたい滋味溢れる言葉で埋め尽くされ、一読すればすなわちこの愚かな身の上もたちまちにして光明に包まれ、人としての段階を一つばかりか二つも三つも向上させられると思っていました。

・・・私が莫迦でした。

まさかの冒頭から罵倒の嵐。

私が学者でないから、ある威張り屋は私のことを文字も知らぬ人間だと断ずればそれだけで私をもっともらしく非難できるととお考えのようであることを私は十分承知している。馬鹿な連中だ!
(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』岩波文庫、1954年、p.19) 

たとえ奴らのように、著作家たちを引用することができたところで、奴らの先生の先生たる 経験 を引用する方がはるかに偉大でありかつ読む価値も大きい。やっこさんたち、自分の苦労ではなく他人の苦労で膨れ上がり贅を尽くして飾りめかしている。・・・そしてやっこさんたちが創作者たる私を軽蔑するなら、創作者でなくて他人の作品のラッパ卒兼暗誦者に過ぎないやっこさんたちこそ、遥かに非難されて良さそうなものではないか。(同上p.20)

おお人間の愚劣さ!お前は一生涯自分と一緒に暮らしながら、しかもまだおまえの一番たくさん所有しているものを、つまりおまえの阿呆らしさを理解していないのを悟らないのか?そのくせおまえは数学を軽蔑することによって山のような詭弁家連中とともに、自分を他人をもごまかそうとしている。(同上p.23)

 

もちろん全部がこういう調子だというわけではなく、後半の文学・芸術論、科学論ではだいぶ冷静な筆致になっています。しかし、そこにおいても認識の「冷徹さ」が一貫して存在していることは否定できません。

この僕のレオナルド体験は、やはり大層堂々たる格好良い言葉が並んでいるのであろうと思って読んだ『ナポレオン言行録』がどれだけページをめくっても奥さんへのラブレターばかりで辟易したのに似ていながらまったく異なる衝撃で今日まで僕に影響を及ぼしています。

いま再びダ・ヴィンチの手記を読めば、当時の画家や彫刻家の社会的地位についての知識などを鑑みて理解しなけらばならないところもあるし、そもそも激しい口調は単なる無理解な世間への罵倒ではなく、自分自身への自戒も含めた人間存在そのものへ向けられたものであると理解しなければならないでしょう。

しかし、そこに常に伏流している、経験を重視すること、自然に学ぶこと、数学や科学的知識の重視は、はからずも坂本善三の創作活動のなかに見いだすことができます。坂本善三は自然の秩序や自然の移ろいにのっとった作品のことを考える、絵は科学だから自然の原理に従って書くべきだ、等の発言を多く残しており、また、何よりも(日本人が大好きであろう)「枯淡の境地」なるもので絵を描くことを自らに厳しく禁じています。

・・・こうした事柄も何か展示に活かせるのではないかと、ときおり窓から入ってくる小学校運動会の練習の音を背景に、日々キーボードをパチパチと叩いております。

 

文献研究が仕事なので、私にとっては本が仕事道具なのです。ところが先月諸事情により期間限定の引越しをしまして、いま仮住まいで暮らしています。そんなこんなで仕事道具の多くはいまだダンボールの中・・・。

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 はやく彼らの力を解放せねば・・・「南本棚⑥上段洋書」って、中におるのはけっきょく誰たちなんや!

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ブログを書くにあたりどうしても参照したい本があったのですが、とうとう見つけることができませんでした 。

しかし「芸術関係」と書かれたいくつかのダンボールを発見!

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 なんで中身はウルトラセブンなんや!!