小国び塾活動日誌

藤浩志プロデュースによる「小国び塾」参加メンバーが、坂本善三美術館の収蔵品から発想して取り組む「アートなプロジェクト」の記録です。

今日の(先日の)絶筆−7−【sawa】

sawaです。

 

先週の土曜日は、熊本市内で行われたアートイベントでパフォーマンスをしてきました。

次の日の日曜日は、福岡で行われたヨガのイベントへ行ってきました。

久しぶりに朝から晩まで遊び通しました。

 

さすがに連日1日がかりで出掛けると疲れが溜まりますね。

とてもパソコンに向かえる状況ではありませんでした;

しかし、土曜日の夜がとりあえず自分で決めていた”絶筆week”の最終日だったし、その日が充実していてアドレナリンたっぷりだったので、そんな状況で一筆描きました。

ご覧ください。

 

 

 

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えぇぇぇぇ〜

ヤダァ。。。

怖いよぅ…(半泣き)

 

 

土曜日のアートイベントでは、音楽やダンス、書道や舞踏やパントマイムなど、様々なアーティストさんたちがアーケード街でパフォーマンスをしていたので、参加するだけでなく鑑賞もしてきました。

私は、表現する人たちの所作とか佇まいを見るのが好きです。

あとはその人たちの周りに漂う空気感みたいなもの。

いろんなジャンルの方々それぞれの表現を観ると、気分が上がります。

パワーをもらえます。

 

私個人が何か表現する時に心掛けたいことが、手と足の使い方。

使い方というか表情?

身体の端から端まで、感情が滲み出たり情景が浮かぶような表現が出来るようになるのが一つの目標です。

なので、その願いを込めて描きました。

 

描きましたが…

なんか、この絵、淀んでいるよね(笑)

 

 

 

表現する、ということを私は控えよう、やめよう、諦めようとしたことが何度もあります。

でも、方法を変えてでも何か表現したいという気持ちがあるということに、今回の”小国び塾”及びこのプロジェクトに関わって改めて気付きました。

これからも素人なりに表現していくんだろうなー。

 

 

私にとって善三先生の”水墨抽象(絶筆)”は、観に来ていただいた方に、今この世に生を受けているということや、日々を一つ一つ丁寧に過ごす事の大切さなどを何かしら感じていただけたらいいなと思っていたのですが、思いがけず自分自身とがっつり向き合う機会となってしまったようです。

公開処刑ですなこりゃ。

恥かしかー。

 

「こんな解釈、ありなんだ!」展はあと1ヶ月ちょっと。

それまでもう少し、絶筆を通して自分自身と向き合っていきたいと思います。

 

 

sawa

 

『青い稲妻2』ハルノシュ

“青い御幣”と“青稲ちゃん”を新たに展示した。

善三さんの『形』(1976)そのものを邪魔しないようにと思いつつ,

全体で一つの空間として見えるようにと考えた。

“青稲ちゃん”たちは全部で五匹。

お時間がある方は,善三さんの『形』(1976)の中に

オリジナルの稲妻?御幣?があるので,

見つけてみてはいかがでしょうか。

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『形』(1976)を改めて見てみると,これに限らず,善三さんの作品に青い光のラインのようなものが多く描かれていることに気づく。

プロジェクト「善三さんへの手紙」で展示されている「光」(1984)もそうだ。

善三さんにとっての青い稲妻や青い光とは何だったのだろう。

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今日の絶筆−6−【sawa】

sawaです。

 

昨日描いた絶筆もといディズ◯ーで思い出したことがあります。

 

幼少の頃やたら描いていたキャラクターがいたんです。

懐かしさのあまりにブルブル武者震いがしたので、今日はそのキャラクターを描きました。

 

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あぁーーー!可愛いっっっ!!!!

我ながらなかなか可愛く描けたと思う!

 

ア◯パ◯マンに出てくるドキ◯ちゃんです。

◯ンパンマンの最初のテレビ放送が始まった時、私は幼児。

あの衝撃は今でも鮮明に覚えています。

 

その中でもド◯ンちゃんにハマっていた私は、ノートに◯キンちゃんのイラストを描くだけでは飽き足らず、謎の女の子(多分私。)のコンビで物語を書いていました。

しかも結構長編。おまけにシリーズ化もしてた記憶が。笑

 

なんであんなにハマってたんだろう…ドキ◯ちゃんの女子な部分が子ども心にヒットしたのかな。。。

憧れの存在だったのかもしれません。

今でも魅力的だと感じます、ド◯ンちゃん。

 

 

 

こうやって一つ一つ、思いや記憶を紐解きながら描き記していくと、昔の思い出や忘れかけていた情熱、目を背けたくなるような苦しい過去など、いろいろなことが浮かんできます。

これまで描いてきた絶筆6枚は、はたから見ればただの落書きです。

が、それらを描く前後の時間に私の心はたくさん揺れ動かされています。

きっと、ただ頭だけで悶々と考えるよりも”描く”という行動によって整理されているのでしょう。

描いた後は、前向きな私になっているのです。

絶筆=死を意識しがちですが、意外とこの作業は、生きる意欲を沸き立たせるものなのかもしれません。

 

 

sawa

 

今日の絶筆−5−【sawa】

雨が降ってきました。

sawaです。

これから1週間はぐずついた天気が続くみたいですが、そのあとはいよいよ寒くなるのでしょうか。どうでしょね。

 

 

さて、今まで描いた絶筆を振り返ってみると、文字ばっかりだということに気づきます。

そろそろ絵が描きたくなってきました。

 

実は私、小〜中学生の頃は漫画家になるのが夢でした。

短大時代は一応美術部でした。

なので絵を描くのは好きだったはずなんです。

(あ、絵と言ってもイラスト系の可愛いやつです。風景画とか写実的なのは苦手)

でも社会人になると絵を描くこともほとんどしなくなりました。

 

絵を描くことは小さい頃の私にとって欠かせない遊びの一つだったのです。

そんな無邪気だった頃の私に還りたい。

私はすっかり大人になってしまったんだ。

よし、ここは私のルーツの一つとも言えるアレを描こう。

 

私のルーツとも言えるもの。

それはディ◯ニーです。

物心ついた時から家にあったレーザーディスクで◯ィズニーの作品をよく見ていたものです。

習っていたエレクトーンやジャズダンスの発表会の演目もディズ◯ー。

デ◯ズニー◯ンドのダンサーになることを夢見ていた時期もありました。

なんならディズ◯ー関連のお店で働いていた時期もありました。

私にとってディズニ◯は間違いなく夢と魔法だったのです。

 

今日の絶筆は、もし本当にこれが絶筆になったとしたら、私のことをよく知っている人が見たら「sawaってば、最期までこれですか…ホント好きだったよね」と呆れられるかもしれない、そんな一枚です。

 

それではどうぞ。

 

 

 

 

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あ、本家から、勝手に描いたことを怒られないように、念のために伏せてみました。

(余計怒られそうwww)

 

 

 

 

sawa

今日の(昨日の)絶筆−4−【sawa】

こんにちは。

昨日はブログをアップする前に寝落ちしてしまいましたsawaです。

 

それでは早速、夕べ描いた絶筆をご覧ください。

 

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(日付を思いっきり間違っているのはご愛嬌)

 

「ふざけてんのか」という声がどこかから聞こえてきそうですね。

弁明させてください。

 

今日(昨日か)、”手書きPOP教室”なるものに行ってきたんです。

ほら、地元のスーパーとか、◯レッジヴァン◯ードとか、TSUTA◯Aとか、ド◯キホーテとかに行ったらよく貼ってあるアレですよ。

特売!とか店員さんオススメ!とか。

 

先週と今週の2回講座だったのですが、

これまたとっっっっっっても面白くてですね!

 

あの値札や広告、こんなにいろんな工夫がされてて、しかもかなりの技術を要するんですね!!!!

ホント職人技!

でも、ちょっとコツを掴めば誰でもそれっぽい字が書けるようになる、という手軽さや魅力もある。

 

深い…恐るべしPOP文字!!

 

というわけで、その感動と、せっかく得た技術を少しでも身に染み込ませるために、今回はPOP文字をフューチャーした絶筆を描いてみました。

 

描いた文字はハワイの言葉の中でも特に大好きな”Mahalo”です。

本当はアルファベットで描きたかったのですが、今回の講座ではアルファベットは習わなかったので、可愛く(?)ひらがなで。

 

生地の織りがいい感じに活かされています。

 

”Mahalo”って、ハワイに行ったらいたるところで聞く言葉なんですね!

いわゆる”Thank you”的な使われ方をされていました。

昨年、初めてハワイを訪れたのですが、正直それまでMahaloの存在を知らなくて!

その言葉の語感というか響きというか温かさというか、そんな不思議な魅力のある言葉だなと思って、すっかり好きになっちゃったんです。

 

”ありがとう”や”感謝します”という意味合いで使われている言葉ではありますが、

”ma”=「〜の中に」

”ha”=「息(魂、命)」

”alo”=「〜の前に、共有する、向き合う」

という3つの言葉で成り立っているMahaloには「あなたが魂の中にありますように」という意味も込められているそうです。

 

ハワイでは、あらゆるものに”マナ=魂”が宿っていると考えられていて、それは言葉も同じ。

日本でも”言霊”という言葉がありますよね。

 

たった3文字の言葉ですが、Mahaloという挨拶になんとなくその魂というか温かいエネルギーみたいなものを感じ取っていたのでしょうね。

だから好きなんだと思います。

 

もしこれが絶筆になったとしたら、今までの感謝の気持ちをこのMahaloに込めて伝えることが出来たらいいなと思います。

 

 

sawa

今日の絶筆−3−【sawa】

さっき部屋に入ろうと電気をつけたら、

でっかいヤモリがいました。

 

そして今、そのヤモリの動向を見張りながらブログを書いてます。

sawaです。

(ヤモリ自体は平気なんですが、なんせすばしっこいので、こんな夜更けにバタバタと捕まえて逃がす気力がないし、捕まえられる自信もない。でもずっと居続けてもらわれてもなぁ…どうしよう)

 

さて、今日の絶筆。

 

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何も描きませんでした。

描く気になれませんでした。

心から”描きたい、描いてみたい”と思えるものが浮かんでこなかったのです。

 

そもそも、私は自分のプロジェクトの一環として描く、という選択をしていますが、プロジェクトとか、人に見せるためとか、そういう理由を取っ払った状態で何か作品を作る、となった時には、まず”作りたい”、”とにかくこの想いや考え、気持ちを形にしたい”というような、何かしらの衝動があると思うのです。

 

善三さんの描いた「絶筆」だってそうだと思うのです。

「これは後々最後の作品として紹介されるだろうからこういう構図で云々…」なんてことは考えていないはずです。

 

自分のやりたいことを、ただ素直に表現しただけ。

 

今回のプロジェクトに限らず、私がこれまでやってきた表現活動は”他人目線”ばかりを意識してきたような気がします。

良く言えば、見ている人に喜んでもらいたい、楽しんでほしいというサービス精神。

だけどもしかしたら、自分の本当の気持ちを置き去りにしていたところがあったのかもしれません。

 

私が本当にやりたいことってなんなんだろう。

自分にとって、表現するってなんなんだろう。

善三さんの作品を通して、まさかこんなに自分自身と向き合うことになるなんて思ってもみませんでした。

 

 

(部屋にいたヤモリですが、見事に見失いましたwお願いだから外に出てって…)

 

sawa